光景とその意味について。また、現在について。

結論さ〜二丁魁のことが好きだし筆村さんのことが好きだし、好きになってよかったなぁって話。

初めて見た光景について

二丁魁のライブを初めて見た日。
私はその光景を「アイドルとオタクが創造している空間だ!」と思った。
何を創造しているかというと、愛情でできた宝物のようなもの。

 

曲を歌うアイドルとフロア後方で眺める私の間には、たくさんのファンがいた。
そのファンは皆それぞれ自分のスタイルでアイドルを見ていた。
アイドルに向けて伸ばされる手、
推しが歌う瞬間に振られるペンライトの光、
名前を呼ぶ声、
振りコピして一緒に踊る姿が視界に入る。
アイドルは歌いながらその光景を愛しそうな表情で見つめていた。

私はその景色を初めて見た時「こんな愛情表現があるんだ」と、ステージとフロアの行き交う感情に救われた気がしていた。誰かを「好き」になってそれを伝えることは美しい光景になれることがあるんだと思って。

行き交う感情によって作られる空間は宝物のようだった。

いい空間を視界いっぱいにしたくて、ライブはいつも後ろの方で見ていた。こんなに互いが人を好きになって届けあう空間、ただただ愛しくて一つ一つの行動に意味があって、「好きになる」って綺麗だと思った。

それと同時に私はその空間の一員というより、傍観者でいた気持ちの方が大きかった。
宝物は常に自分の目で捉えられても、自分で作れるとはあまり思っていなかったと思う。

 

現在について

ライブを見た感想について

それから3年ほど経った今、嬉しいなと思ったことがあったのでここに記す。

この前友達と二丁魁のライブに行った。友達は私が二丁魁のライブに行き始めた頃のことも知っている子だったし、ようやく一緒に行けて嬉しかった。
ネオジャポさんとのツーマンで場所はVeats SHIBUYA。後ろの方で見ていたけど超〜楽しかった!

ライブ終わりにお茶をして、友達からたくさん感想を聞いた。
「アイドルもそうだけど、空間全部がよかった」と、私が初めてライブを見た時と同じような感想を言っていて、わかる〜と思った。
あと「筆村さんもなえちゃんもお互い好きなんだね」と言ってくれて、わぁ、そっかぁ、お互い好きなのかぁって。

「ライブでアイドルとフロアにいるオタクの好きのやりとりを間近で見て、『あぁ見れてよかった』って思ったしうるうるしちゃった」って、その時パチンとピースがハマったような感覚を得た。

 

好きのやりとりについて

行き交う感情によって作られる空間は宝物のようだ。
昔は、その一員になれないと思った。外から傍観して、眺めて、綺麗だって思うことが当時の私にできることだった。

でも今はね、私もその光景の一部なんだなって思うよ。

ずっとずっと「二丁魁に推しはいない」「たしなんでいるだけ」と言っていたけど。
今は推しがいるから目で追うし、ペンライトの色は空色だし、手を差し伸べたくなるし、「今のいいな」って思うとマスクの下でニコニコしちゃう。
そんな私見て人は「推しのことが好きなんだね」と言ってくれて、それを「ちゃんとアイドルは受け取ってくれるんだね」って言ってくれたことが嬉しかった。
「好き」の気持ちのやりとりができていた。
私が「宝物」だと思った光景の一部になれていたことが、すごく嬉しかった。

 

 

人を好きになってよかったって思ったし、その人が筆村さんでよかったって思った。
私は二丁魁が好きだけど「二丁魁のことが好きで、筆村さんのことが好きな自分」でないと、きっと今もただ傍観していただけだったと思うし、たとえ「好きのやりとり」ができていたとしても、自分が納得していなかったと思う。

納得できたのは「筆村さん推し」でいる私がいて、感情整理が下手くそな私のペースに合わせて向き合ってくれていた筆村さんがいてくれたからだと思った。

 

最近、特典会で筆村さんが「僕の『大好き』を信じてくれるようになって嬉しい」って言っていたことがあって。
でもそれは私からすれば「大好きな人になってくれてありがとう」だし「信じられる人でいてくれてありがとう」だし「私が信じることを信じてくれていてありがとう」って言いたいよ〜。

そういう一つ一つにすごく丁寧な君がいてくれたから私も好きのやりとりがたくさんできて、「宝物みたい」と思った光景を、今一緒に作れているんだと思う。

 

私、自分が綺麗だと思った空間の一部になれていることがすっごくすっごく嬉しい。

嬉しいの、嬉しいからこれからも手を伸ばしたい。

宝物の空間を続けていこうね。

 

 

……眠いから寝る! おやすみ!