12周年ライブの時に新曲『ネガちゃん VS ボジちゃん』が初披露された。
作詞をしたミキティー本物さんいわく、
「今までコロナ禍の中で曲を作っていたので、あまり『声出し』を意識していませんでした。最近になって声出しも始まったので、みんながコールを入れることをイメージして作った曲です(意訳)」
「コールして!!」
とのことで、満員のフロアからはたくさんの声が聴こえて、斯く言う私も「ミキがそういうなら……」と思い、声出しをちょっとだけしていたがだいぶ脳内は大変なことになっていた。
<歌詞を記憶したい VS 4人をしっかり見たい VS 馬鹿でかい声を出ししたい>
「こんなん器用にできません!!」と思いながらも、そのやりたいことが多すぎる感覚に笑けてきて「みんなで作り上げていくこの時間が楽しくて幸せだな〜!」とニヤけた。
周りのオタクから聞こえる声や振られるペンラ、伸ばされる手それぞれに「4人からのお願いごとを叶える」と意志を持っていたように思う。ステージもフロアも「二丁魁らしいな」と思った。
その中で聴いた終盤のミキパートで私は感動してしまった。
せーのでサンキュー!一緒だから 大丈夫僕らは進める!*1
ミキが拳をぎゅっとして「大丈夫」と力を込めて歌っている姿の清々しさと、それに続く3人の
ネ〜ガちゃん イェイイェイ!ポ〜ジちゃんイェイイェイ!
僕のためにあ〜らそわないで!
ネ〜ガちゃん イェイイェイ!ポ〜ジちゃんイェイイェイ!
僕の取り合いし〜ないで〜!*2
と歌い、フロアと綱引きをして、最後はフロアの引っ張りにメンバーたちが負けてフロア側へおっとっと、と片足を弾ませた。同時に仰け反っていたおなカマも二丁魁の動きを真似し、磁石のようにお互いが近づいた。
ハッピー大団円すぎる曲だった。
「なんなんだこの曲は〜〜!?」と記憶が全部吹っ飛びそうなくらいに驚いた。
というかだいぶ吹っ飛んだんだけど、それでもこの時に感じた率直な自分の感想に自分で驚いてしまい、「この気持ちを二丁魁の楽曲から感じて受け止めたの、初めてかも」と思った。
彼らが伝えたい気持ちと自分の気持ちが少しでも同じだったら本当に嬉しいと思いながら、やめとまを歌う彼らを見ていた。
その時の感想は「ネガティブな自分自身も味方になる」でした。
私の中で二丁魁の楽曲
二丁魁の曲は新曲含めると総数45曲ある*3ので、本記事ではフルアルバムに収録されている楽曲のみについて触れる。
アプローチの仕方は曲ごとに様々あるんだけど、楽曲を聴いて感じるメッセージ性は「私たちが“ここに”いるから」という寄り添いだと感じています。
いくつかピックアップして言うなら、
例えば『あるある言いたい』。
この曲の「君」と「僕」の関係は、自分にとって肯定できない自分の部分を、相手は「そんなところが素敵」と肯定していて、それは逆も然りなんだと伝わってくる。
お互いが揃えば、それは愛情にも変化するんだ、という感覚が私の中にはあります。
また初めて聴いた時に「これに光はあるのだろうか……」と一瞬は思った『□私はロボットではありません』。
私は「孤独が孤独を照らす曲」だと思う。
歌詞を読むと「人の心が気になり 身動きできなくなる」「私は優しさと思えない」など心の中の痛い部分が書かれている。
自分のありとあらゆる言動が全て間違いのようで、誰かにとっては疲れさせてしまう原因のようで、でもそれを気にしてまた動けば、また誰かを傷つけてしまうような、どうすることもできない場所で立ち止まって動けなくなってそれなのにマイナスな思考はずっと止まらなくなってしまうような〜〜。
それでも私がこれを光だと思うのは、この「誰かを傷つけてしまう」と思うその気持ちが「優しさ」だと思うからで。
また、この歌詞がこの世に存在することで誰かにとっての「私だけじゃないんだ」と思える一つのきっかけになっていると思う。そうなれば、これも前述した「私たちが“ここに”いるから」に繋がるんだと思う。この曲があるから、孤独感を曲と分けることができるんじゃないかなって。
というか、私はそう信じている。
ネガティブとは何か
ここで『ネガちゃん VS ポジちゃん』にも出てくる、ネガティブとは一体どういう存在か改めて考えた。
私の中でのネガティブとは自身の行動の抑制・足を引っ張る存在です。
※人それぞれのネガティブへの解釈があるからここに書いてあることが「ネガティブの代表」ではないことを御留意ください。
私のネガティブは生まれ持った性格もあるとは思うけど、ネガティブに変化したきっかけというのは過去の後悔であったり、反省、失敗、トラウマなど“経験”が関与していることが多いかも、と考えた。
自分の中では常にマイナスの存在であることは確かだなぁ〜〜と思うし、ネガティブとの戦いはあった。
そんな中で二丁魁の曲を聴くと、その「ネガティブ」を私の代わりに肯定してくれている感覚がある。
≠それでも、私の中からネガティブを打ち消したら、私が良くなっていく(成長していく)ものには変わりなかった。
ネガティブは所詮ネガティブである。
ネガティブな自分自身も味方になる
前置きが長かった。やっとネガポジの感想書けるぞ〜〜!!
私が二丁魁の曲を聴いて初めて「あ、自分のネガティブと共存していいんだ!?」とストンと腑に落ちたのはネガポジだと思う。
私はネガポジの歌詞(あっているかはマジでわからないので“ない話”かもしれないが)
せーのでサンキュー!一緒だから 大丈夫僕らは進める!
「僕ら」に、今まで二丁魁が伝えてきてくれた「私たちが“ここに”いるから」が込められていると思ったし、またそこにはネガちゃんとポジちゃんも含まれていると思った。
そう考えた時に、私はネガちゃんのことを「自身の行動の抑制・足を引っ張る存在」として認識していたけど、「大丈夫僕らは進める!」と歌われたことで「あ、ネガちゃんも動けるんだ!!」と目から鱗の感覚に陥った。
前述した通り、私にとってのネガティブが生まれる要因は過去の経験であることには変わりません。
でも振り返って見ると、私の記憶上その経験は決して自分を意図的に傷つけたくてやった出来事ではなかったと思う。
結果的にはうまくいかなかった経験の集合体だし、不安や恐れ、「自分なんか」と言い続けてしまう原因になっているかもしれないけれど、それがあったからできていることや気づけることがあったのは事実で。
少なくとも私は、そんな経験をして出来上がった価値観を持って聴く二丁魁の音楽が好きだ。
♡
『ネガちゃん VS ポジちゃん』を歌っている最中、必死に声出しをしていたけど最後の最後で「ネガティブな自分自身も味方になる」という感覚を抱いた。二丁魁の12周年ライブでそう思えたことが何よりも私は嬉しい記憶となった。
リリパの時にメンバーにその感想を伝えたら、ミキちゃんが
「私はネガティブの半分は優しさだと思っているから、絶対」
と言っていた。このプロデューサー、だ〜〜〜〜いすき。私はミキのそういうところがずっと大好き。
この楽曲を聴いて、私はネガちゃんはただのウジウジ野郎だと思っていたけど、頼もしい仲間を見つけたような気持ちになった。
「そんなふうにネガティブを好意的にとらえていいのか!? 安易すぎないか!?」
と内なるネガは言っていますが
「いいんだよ!!!!」
とポジが言っているので、きっとそんな口論をこれからも続けながら、私はこの『ネガちゃん VS ポジちゃん』を好きになっていくんだと思う。
……歌詞、全然覚えていないから全体の歌詞が出たら手のひら変えるかもしれん! 歌詞間違ってる可能性の方が大なのにこんなに書いて大丈夫なのか!? もし間違っていたら一緒に笑ってくれ〜〜!!